Yuu(ゆう)/自転車と日々日常と雑記帳

noteで自転車と電車、車で訪問したところを記事にしています。ここでは、自分の日々日常のことや買ったものについて紹介したいと思っております。

さきたま古墳公園と忍城に行き、行田の歴史にすこしふれてきました。

こんばんは、Yuu(ゆう)です。
先日の日曜日の午後、埼玉県の行田市を少し観光してきました。この日はさきたま古墳公園と忍城に行ってきました。
まずはじめにさきたま古墳公園に行ってきました。駐車場に車をとめた私は、丸墓山古墳に向かって歩くことにしました。

丸墓山古墳に向かう途中で、石田堤と書かれた案内板のある所に着きました。

石田堤とは1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの一環で行われた忍城の水攻めのためにに石田三成によって築かれた堤です。この写真だとちょっと高さがわかりにくいのでちょっと下に降りてみますか。

意外に高さはあるかなと思います。でもこの水攻めって失敗してるんですよね?石田三成って戦はあまりうまくないという評価はこの戦いからきているのだそうです。
さて、丸墓山古墳につきましたので上まで登ってみますか。

さあ、丸墓山古墳にたどり着きました。この丸墓山古墳の頂上は石田三成が陣を築いたところだそうです。忍城の方角を眺めてみましょうか。

戦をするには眺めがいいですよね。ただ忍城がこの写真だとわかりにくいので忍城を拡大してみますか。

この忍城の建物は御三階櫓(天守閣みたいなものかな?)というのですが、1988年に復元されただそうです。
さて、今度は稲荷山古墳の方を見ていくことにしますかね。丸墓山古墳を降りて気付いたのですが、きれいな紅葉があったので少し見てきました。

これは二子山古墳。丸墓山古墳のように上ることができないので遠くから眺めるだけにします。

稲荷山古墳に着きました。

今回は登らなかったのですが、こうやって見ると結構高い古墳なのかなと思います。私は小学校4年生の遠足で登ったことはあるのですが、前方部が復元されたのは2004年の時で、当時は丸い部分しかなかったそうです。

続いてこれは将軍山古墳。

写真だとわかりにくいのですが、周りに何かおかれているのですが、これは何なんでしょうかね?知っている人がいたら教えていただけたらと思います。
さて、今度は埼玉県名発祥之碑を見に行くことにします。これは愛宕山古墳。

さきたま古墳公園の中で最小の古墳なんだそうです。
しばらく歩いて埼玉県名発祥之碑にたどり着きました。

この碑の隣には埼玉県名の由来が書かれているのですが、当初の県の管轄地域の中で、最も広いのが埼玉郡であったからだそうです。
このさきたま古墳公園の中に旧遠藤家住宅という古民家があるので寄ってみました。

この民家は埼玉県幸手市にあったのを移築した建物なんだそうです。
さきたま古墳公園を見たところで、忍城にも行ってみることにしました。車での移動だとすぐの距離にあります。
忍城に寄ったのですが、時間がもう夕方になったのでちょっとだけ見ていくことにしました。 高麗門から中に入りました。

 高麗門をくぐって大水面花があったので見てきました。大水面花って花手水のスケールを大きくしたイメージなのでしょうか?傘が浮かべられていたのですがとにかくきれいでしたよ。12月14日までだそうです。

これが御三階櫓。

お城にしてはサイズが小さいのですが、この城を豊臣秀吉をもってしても落とすことが出来なかったんですよね。
さて、一通り見たわけではないのですが、暗くなってきたので帰ることにしました。次回は博物館が空いているときに(16時閉館で着いたときには時間が過ぎていたのでみることが出来なかった)見に行くことにします。
今日はこのへんで。ではまた。